愛のある日々を

突然沼に落ちるのが特技です

私はBTSを通して、私の形をもう一度取り戻す

セブンイレブンの春巻きが好きすぎてこの名前になりました、
春巻です。

 

2021年の夏、1年間の無駄な抵抗の末BTSのファンになった。詳しい経緯は気が向いたらまた書くかもしれない。(結局割と書いてしまった)
今回沼落ちは正直今までのものと全く違っていて、沼落ちブログを書くのも随分と悩んだ。この裏には表に出ることのない無数の下書きが眠っている。なかなか上手く言葉にできなかったBTSへの気持ちがようやく形に始めたので、もう勢いで投稿してしまいたい。(ちなみに、今これを書いているのは9月23日深夜。実際に投稿するのはいつになるのか、楽しみなところ。)


このブログは、沼落ちブログであると同時に、私が随分長い間失い続けた自分自身の言葉であり、もう二度と、自分自身の言葉を手放さないよう努めるという意思表明でもある。

あと、このブログで書いてる内容は全て自分に対しての考えで、特に好きなものとの距離感、推し方などは人それぞれであり、それに対して何かジャッジを下したいわけでは一切ない。
もしかしたら過去に好きだったジャンルなどに対して、今の私がネガティブな感情を抱いているように見えるかもしれないけれど、それらも一切ない。過去に私が好きだったものたちの好きなところを今でも言葉にできるし、ただBTSに辿り着くまで、私はそれらとの距離の取り方、そして私自身との対話が下手だっただけ。だから、好きだったものたちを好きだった過去も私にとっては大切な時間だった。こう思えるようになったのも、BTSのおかげだったりするけど、これ以上前置きが長くなるといけないので、この話はまた別の機会にしたい。

 

1.思考停止オタ活時代
2.ジミンさんとの出会い、観念
3.私のこと
4.私とBTS
の流れでお届けしたいと思います。上手く目次にできなくて悔しい 。

ちなみに各所に動画のリンクを貼ったので、まだBTS見たことないよっていう人は見てください。よろしくおねがいします。

 

 

 

 

思考停止オタ活時代

BTSを好きになるまでのオタクとしての道のりは漫画から始まり、男性アイドル、ダンスグループなど様々な道を通った。いつからか忘れたけどそれらは私にとって、日常から目を逸らし、気を狂わせるためのいわば薬やアルコールのようなものとなった。
だから決まって自分の人生を選択する重要なタイミングで新しいジャンルに出会い、気を狂わせ、思考を停止させた。現実を直視して生きるのはあまりに怖かったから、そうやって気が狂っているうちに人生がぷつんと終わったりしないかなと期待していた。
けれど、気が狂ったまま生きるのに意外にも人生は長かったし、プライベートで気を狂わせながらそれ以外では何もなかったかのように切り替えるのが私には難しかった。目の前の現実を直視しなかった結果、20代の生活は仕事もプライベートも順調と言えるものではなかった。それはもちろん、私が好きだったものたちのせいではなく、単に甘ったれていた私のせいだ。本当に。

毎回、散々狂ったようにお金と時間を使った後には自己嫌悪と後悔が残った。気を狂わせている間、麻痺させている私自身との乖離が度々起こった。自分自身との乖離が起こる度、確かに好きだったものへ言いようのない淀んだ感情を抱く度、もっと健やかに好きなものを好きでいたいと思うようになった。持続可能なオタクでありたいと。

 

 

 

 

ジミンさんとの出会い、観念 2021夏

そんなことを思い始めていた時、とある推しのインタビューをきっかけにジミンさんを好きになった。
実は昨年春頃にMAMAのFIREを見てからというもののBTSに対して、(好きなるに決まっている)と思い続けていた。
偶然Twitterでフォローしていた方が昨年の同時期にBTSにハマり、日々のBTSに関するツイートをタイムラインで受動喫煙するかのように見れば見るほど、自分が生きる日常の延長にあるエンタメを感じBTSの音楽だけでなく哲学のようなもの(それは今思うと、彼らの姿勢という言葉が一番フィットする)に惹かれていく自分がいた。

 

youtu.be

 

でも、私はそれまで本格的にK-POPアーティストを推したことがなく、リリースの方法など全く違う界隈に飛び込む心理的ハードルを勝手に想像し、それ以降Dynamiteの諸々を薄目で、決して推しをつくらぬように見ることにした。今から思うと何て無駄で、不要な抵抗だったんだろうと思うが、その時になってみないとわからないことが人生には存在する。
そんな感じで、心のどこかで(いつか自分は必ずBTSにハマる)という確信を持ちながら、Butterのリリースを迎え、そしてやってきたPermission to Danceに私は学生時代どハマりしていた海外ドラマと同じバイブスを感じ、(ついにその時がやってきたのかもしれない……)と思っていたタイミングでの冒頭、推しのインタビューだった。

 

リリースを待っていた時点で結構ファンだったのでは感は否めないけど、公開になったMVを見た瞬間「gleeだ」と泣いたPTDがこちら。

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ちなみに昔どハマりしていた海外ドラマはこちら

youtu.be

 

ジミンさんのダンスに影響を受けたとインタビューで話す彼女の言葉に押され、ジミンさんの顔を覚えて見たDynamiteで(今までも何度も見ていたのに)私は一瞬にしてこの人が好きだと思った。

 

ちなみに私が見たインタビューとは別だけれど、推しがジミンさんに言及しているインタビューがこちら。アンジュルム佐々木莉佳子ちゃんです。

realsound.jp

 

youtu.be

 

指先から足のつま先まで、どのタイミングで止めても美しくて、ジミンさんのダンスから目が離せなくなった。BlackSwanのようなコンテの振りももちろん素敵だと思ったし、HipHopの振りを踊っている時の音のハメ方も凄い好き。(ジミンさんの話になってしまうと著しく語彙力が低下してしまうので、本当は省こうと思っていたのだが、やはり私の最後の決め手はジミンさんだったので割愛はできませんでした。)
それまであまり歌割りを気にせず聴いていたDynamiteも改めて聴いてみると、どうやら私はジミンさんの歌声も好きらしい。正直ほぼオルペンなので、他のメンバーのラップや歌声ももちろん好きなのだが、その中でもダントツでジミンさんの歌声が好きなのだ。伸びやかにハイトーンでフェイクを歌ったと思いきや、少し掠れた甘めの声や拳のようなドスが効いた歌い方もできて、ダンスもそうだけれどこの世には甘めセクシージミンさんとキレキレかっこいいジミンさんとバラエティーで楽しそうにしているジミンさんの少なくとも3人はジミンさんがいないとおかしいと思わざるを得ないほどの百面相っぷり。新しい動画やまだ見たことのない動画を見る時、この動画はどのジミンさんが出てくるのだろうと毎回どきどきさせられる。
そしてジミンさんのひたむきに努力する姿は、20代半に仕事でぽっきりと折れた自分の心を奮い立たせてくれた。BlackSwanのMV behindで自分のアウトプットに満足しない姿を見て、この人が私の推しだと確信した。
(不思議なんだけど、ジミンさんが好きという気持ちとBTSが好きという気持ちは重なる部分はあれど完全一致ではなく、今回は比較的後者に重きを置いたブログのつもり)

youtu.be

 

 

 

 

私のこと

少し話は変わるけれど、BTSの前に国内の男性アイドルを好きだった期間があり、その時期を通して(逆説的だが)自分がノンバイナリーであり、デミロマであることを私はようやく自覚した。デミロマについてはこちらの記事がわかりやすいと思う。

note.com

学生時代から、恋愛の話になる度に周囲とのズレを感じていた。けれど「今はそうかもしれないけれど、いつか好きになる人が現れる」など様々な声を前に、私は他人のアドバイスを信じ、自分の気持ちを疑った。(みんなの言う通りなのかもしれない)と思えど、一向に周囲とのズレは埋まらなかったのに。
働き始めて違和感もいい加減無視できないほどの量となり、ようやく人と人の関係性や対人感情の多様さを知ったことで、自分がそれまで感じていた違和感が単なる違和感ではなく、自分の感情として自覚できるようになった。これは確かに私の感情であり、一時的な迷いや気のせいなどではないのだと。
けれども、音楽やパフォーマンスが好きで男性アイドルグループのファンになった先に毎回待っているのは、ファンをシスジェンダーの女性であり、ヘテロセクシャルであると想定した数多くの言動であり、それらから感じる違和感の積み重ねだった。
ただ純粋に音楽とダンスを好きでいたいのに、彼らの目に映る”ファン像”のなかに私はいないことにたまに悲しさを覚えた。(このことを某インタビューで決定的に思い知らされ、眠れない夜を過ごして初めて明確に担降りをしようと決意したこともあった。)
けれど私は小さな違和感の積み重ねに気づかないように、それらを見ない振りをした。紛れもない私自身の声であったにもかかわらず。

 

そうやって自分の声から目を逸らし続けていた私に、国連でのスピーチのナムさんの一説が真っ直ぐに問いかけてきたのだ。


「あなたの名前は?あなたの好きなものは?あなたが胸が躍るものは?」

 

youtu.be

 

私がそれまで目を逸らしていた感情たち、失くしてしまった言葉たちを拾い集めなければ、この質問には答えられない。私はそう思った。と同時に、この感情たちを大事にしながら、この人たちのファンでいられるのだと思った。そのことは自分にとって、新鮮な驚きだった。
ナムさんのこのスピーチを思い出す度、朧げだった私の輪郭を確かめるために、私は多くはない自分の語彙と決してこちらも大きくはない自分の脳を総動員させて、自らに問いかける。

私は何が好きで、どういう時に嬉しいと感じ、誰を愛するのか。

この一節は『LOVE MYSELF』という彼らがユニセフと行っているキャンペーン、そしてアルバムタイトルでもある魔法の言葉にもつながっている。自分自身を愛すること、冒頭にもあったように自分を大切にしながら、オタクでありたいと思っていた私にとって、その対象であるアイドル本人から『LOVE MYSELF』という言葉が出てくることが夢のように思えた。
ナムさんのこの言葉がある限り、つまりBTSを好きでいる限り、私はこの問いに答え、これまでに失くした言葉を拾い集め、そして自分の輪郭を確かめ続ける。今までごめんね、とそれらをそっと自分のポケットに、もう二度と手放すものかと仕舞い込む。
私は、BTSを通してバラバラになってしまった自分の形を、もう一度取り戻している。

 

 

 

 

 

(追記)
私とBTSとLOVE MYSELF

BTSを好きになって改めて認識したことがある。それは私がエンタメにエンパワメントを求めていること。それは最近突然思ったことではなく、むしろ子供の頃からそうだった、そして今までもそうだったのに、どこに忘れてきてしまったんだろう。
子供の頃、勉強ができない私は親から怒られる毎日のなか、同じ様に落ちこぼれの主人公が努力を重ねていく姿に勇気づけられた。学生の頃、アメリカの高校のグリー部を描いたドラマに、人と人の関係性の多様さを教えてもらった。
そういうエンタメに求めていたことも、どうして忘れてしまっていたんだろうと思う。自分の大切なものが、BTSを通して自分の手に戻ってくる。
それは自分とエンタメとの距離感だけでなく、日常のなかの静かで音楽もテレビも何も付けていない静寂であり、読書をし物語に没頭する心地よさであり、自分が興味のあることを勉強する時間たちも含めて。

 

オタクの定義は各人が持つものであり、他人が定義するものではない。その前提で、私はもうオタクをあがると思う。以前のように、自分のアイデンティティの大部分をそれが占めることはない気がする。もちろん、今後またそうなることもあるかもしれない。未来は不確定だから。
けれど、今、私は例えばグッズを買うより、少し高くても美味しいパンが食べたい。私にとってはあまり興味のない恋愛の質問ばかりが繰り返される雑誌を買うより、快適な部屋作りや好きな読書、勉強、コスメ、服などに投資したい。推しよりも大事なもの、つまり自分の生活ができたのだ。
けれど、これはBTSのファンを辞めるということでは全くなくて、むしろBTSを好きでいることは私にとってこうした自分自身の意思や選択を確かめ続け、自分を大切にすること、それが私的ARMYとしての姿勢なのだ(あくまで私的です、本当に。人には人の推し方がある。)
矛盾しているように見えるけれど、BTSを好きでいることはすなわち自分を大切にすること(LOVE MYSELF)であり、時には彼らよりも自分を優先させることなのだ。私にとっては。自分を大切にしてねという彼らのメッセージは、私が求めていた持続可能なオタクを肯定してくれているようにすら思える。

 

この先、たとえ辛いことや悲しいことがあって、自分を傷つけたくなっても私には『LOVE MYSELF』という、BTSが授けてくれた魔法の言葉がある。そのことが、ままならないこの日常をひとりで生きる私にとってこの上なく心強い。
この魔法の言葉はここまでに書いたように、自分自身がまず自分のことを理解し、認めていないと効果が半減してしまう。だからこの先、私はもう自分の感情を見て見ぬふりをして、ふたをしたり、それらを疑ったりすることもないだろう。
そして自分の生活を送ることがLOVE MYSELFに繋がるなら、私は時に自分の生活を彼らよりも優先させることもあるだろう。
私は時々自分をひどく傷つけることで、全てから目を逸らそうとすることがあるけれど、もうこの先、同じことはきっとしないと思う。

だって私には、BTSと魔法の言葉『LOVE MYSELF』があるから。

youtu.be

 

BTSの好きなところの半分も書ききれませんでしたが、今回は私がBTSを好きになったこと、それを通して感じた自分の変化を残したかったので、このブログはそういう目的のものだとご了承ください)